ママモスタディ

子どもに教えてあげよう!ひなまつりの由来。女の子も男の子もお祝いする日。

 

ひなまつりは子どもにとって特別な行事。

美しい特別なひな人形を飾ると、家の中に春の訪れを感じます。

2月もバレンタインデーを過ぎれば、ショッピング街などで「うれしいひなまつり」の音楽が聞こえ、桃の花の飾りがよく目に入るようになり、子どももその変化を感じ取って胸を躍らせることでしょう。

 

子どもの楽しみである桃の節句を祝う行事。

お子さまの初節句に、ひな人形を用意されたご家庭でも

  • なぜ【ひな人形】というのものを飾るのか?
  • なぜひなまつりが子どものお祝いなのか?
  • なぜ3月3日なのか?

ということを細かくご存知の方は多くないのではないでしょうか。

(私も子どもが産まれるまで全く知りませんでした)

 

f:id:studym:20190216062449j:plain

 

子どもの健やかな成長を願う、心温まる行事であるひなまつり。

お子さまと一緒に「ひなまつり」の知識を深めることで

単なるお祭りではない、お子さまへの愛情を伝えるきっかけとなる行事にできたらと思います。

 

なぜひな人形を飾るのか

なぜ桃の節句に【ひな人形】を飾るのでしょうか。

いまは「飾る」ひな人形ですが、はじめはわらで編んだお皿状の器に乗せて、川に流していた【流しびな】からはじまりました。

 【流しびな】って?

 いまから約1000年も前の平安時代。

現代とは医療の技術が比べようもなく未発達で、子どもが産まれれば当然に元気に育つ、という環境ではありませんでした。

 

【七五三】のお祝いが子どもの大切な行事であったことからも分かるように、7歳まで生きられるということが当たりまえではない昔。

感染症に対する予防接種も存在せず、子どもに疾病や災いが降りかかることが親にとって身近な脅威であった時代。

 

そんな時代に、「どうか我が子が健康に育ちますように」との切実な願いを込めて、子どもの厄を払う行事として、木や草で人の形をつくり、その人形に子どもの病や災い・ケガレをうつして川に流していました。

 

一方、平安時代の貴族の女の子たちの間では、木や布で作った魔除けの人形を遊び道具とした「おままごと」が流行していました。その遊びは「ひいな(=小さくてかわいらしいもの)遊び」と呼ばれ、それが「ひな人形」の語源と言われています。

この「厄払い」の人形流しと「ひいな遊び」で使われていた人形が結び付き、厄をうつした人形を川に流す【流しびな】となったといわれています。

 

今でも【流しびな】を行う風習ある地方があります。

東京では、毎年隅田川で【江戸流しびな】が行われています。

3月3日に一番近い日曜日に行われるのが通例です。お子さまと一緒にひな祭りのルーツを体験するのはいかがでしょうか。

(公式HPはこちら)

第34回江戸流しびなトップページ | 東京都雛人形協同組合

 流しびなを【飾る】ようになった

木や草や紙などで作って川に流していたひな人形ですが、江戸時代になると人形作りの技術が発達し、立派な紙の人形を作ったり、きらびやかな美しい人形が作製されたりするようになりました。

そうして、美しく作られた人形を川に流すのではなく、家の中に飾るようになったといわれています。

 

当初は、貴族や武家の間で行われていたひなまつり。

豪華な着物を着た美しい人形をひな壇に飾るということが庶民のあこがれとなります。

江戸中期になるとその風習が一般の人々の間で広がり、ひな壇に美しいひな人形を飾り、毎年子どもの健康を願うお祝いをする行事として定着していきました。

 

ひな人形はもともと、子どもの災いを代わりに受け取り、それを外に流してくれる人型です。

そのために、ひな人形を飾るおひなまつりは、「子どもの健康と幸せを願う」行事になったのですね。

 

なぜ3月3日なのか

 流しびなが行われるようになった平安時代、「遣唐使」が日本から中国に渡り、中国の文化を学んでいました。

このころ中国には3月上旬の巳の日に、水辺で身を清め桃花酒を飲んで邪気を払うという行事(上巳節)がありました。

なぜこの日に行われたかというと、上巳(旧暦3月。今でいう3~5月ころ)のころは季節の変わり目で、災いや邪気が入りやすいと考えられていたからだそうです。

 

この行事を遣唐使が日本に伝え、宮廷でも上巳に邪気を払う行事を行うようになり、これが同じく子どもの邪気を払う「流しびな」と結びつき、上巳の節句に流しびなを行うようになったと言われています。

 

「巳」の日は年により変わるので、のちに日にちが前後しないよう、3月3日に定められました。その後、5月5日が男の子の端午の節句であることから、3月3日は女の子の節句とされるようになったのです。

 

なぜ「桃の節句」というのか

中国から伝わった邪気を払う「上巳の節句」では、桃のお酒を飲んだり桃の木を飾ったりしていました。

これは、中国では古来、桃は邪気を払い長寿を与える神仙の果実であると言われていたためです。

日本でも「桃太郎」が、邪気の象徴である鬼を退治しますね。

「桃」は人を守ってくれる神聖な果実として捉えられています。

また、上巳の時期は桃が咲く季節です。

こうしたことから、上巳の節句は「桃の節句」あるいは「ひなまつり」と親しまれるようになり、ひな壇にはひな人形のほかにも桃が添えられるようになります。

 

 

ひなまつりは女の子のもの? 

もともと「流しびな」は女の子に限らず、子どもの死亡率が高かった平安時代から【子どもの健やかな成長】を願う親の心からはじまったものです。

ひなまつりの行事として一般に広く定着するにあたり、すでに存在していた男の子の端午の節句との対比で【女の子が対象】と認識されるようになったのです。

女の子がいるご家庭ではもちろん、男の子だけのご家庭であっても、無常息災を願う親の心は変わらないもの。

ひな人形の始まりは、紙や木でできた人型です。

男の子だけのご家庭でも(もちろん女の子のご家庭でも)、紙コップや折り紙を使って子どもと一緒に製作できるひな人形などを飾り、そこに子どものすこやかな成長と幸福を願い、ひなまつりのお祝いを行うのも素敵だと思います。

 

ひなまつりやひな人形の由来、いかがでしたでしょうか。

お子さまには、

  • ひな人形があなたの病気などをとってくれたり、悪いものを追い払ってくれるものであること
  • あなたが元気で幸せに育ちますようにという願いをこめて、ひなまつりをすること

を伝え、おひなまつりという行事が親の愛情で満たされるものになったらいいなと思います。

 

*ひなまつりの記事*

子どもと読むひなまつりの絵本についてはこちら

ひな祭りに向けて子どもと読みたい絵本

ひな人形の種類・意味や小道具の解説についてはこちら

おひなさま・三人官女・五人囃子…ひな人形の種類と意味を分かりやすくご紹介!